北海道炭鉱に於ける労務状況と所見

(視察期間 昭和17年8月15日〜同月27日)

第1 労務状況
1. 半島人(注:1)
 北海道は海峡を扼するのみならず、炭鉱は概して地理的に半島人取締りに適し、且、炭鉱付近に一般地上産業 乏しきため、半島人の管理は其の宜しきを得、其の歩留り特に良好なるを特徴とす。
 目下其の在籍数約27パーセントなるも其の大部分は坑内稼動なるを以て坑内夫の半島人比率は遥かに30%を 超過すべし。就中釧路雄別炭鉱(注:2)においては多数の半島人を使役して良好の成績を収めつつあり。坑内夫の半島人 出稼比率は56%の高率に達す。
 しかしながらこれを管理する責任者の苦心は誠に甚大なるものあり。言語不通による意思の不疎通、大和魂を 不和雷同性に富む多数の半島人を擁してはふんだんに大小の問題惹き起こし免れず。釧路警察当局の如き雄別炭鉱 に対して治安上半島人坑夫の在籍半ばを超過することなきよう厳重なる要求を為しつつありと云う。
2. 勤労報国隊
 北海道においては報国隊は単に補助的労務にして其の数極めて少なく重要性を欠く。
 冬季、農閑期を利用して農村より出稼ぎする報国隊は概して勤勉にして成績良好なるも、夏季に主として都市 方面より派遣せらるるものは概して不真面目にして熱意乏しく、しかも体力劣り成績不良なり。
 先山不足の炭鉱の現状においては或限度以上の勤労報国隊の供給は作業を混乱せしめさらに失費を増し有害なり。
3. 都市よりの転業者
 東京及び道内都市より相当の募集を行いたるも其の質不良留り極めて悪く概して不成績にして、最近においては 其の数も減少せり。
 元来都市の転業者を一気に炭鉱の如き重筋肉地下労働に振向くるは適切ならず。 

第2 労務対策所見
 当面の対策としては炭鉱労務の重要給源にして今後益々依存度を高むるを要する半島労務者に対し、既に帰鮮せる 多数の契約満期者を動員移入し併せて一般に新募集者に対しては1年の期間延長の措置を推奨するものなり。
 よくよく半島人の炭鉱移入に際しその稼動の過程を見るに、第1年は指導訓練、第2年は作業熟練の期間にして、 第3年においては最も熟練の効果で顕わし、石炭生産に貢献するところ顕著なるものと認めらる。
 しかるに現行の制度においては折角半島労務者の大量移入を断行しながら、其の稼動期間(2年間)は短きに 失するため、大半を予備訓練と作業熟練とに費やし、真に其の能率を最大に発揮し石炭生産に寄与すべき時期には 帰郷して新参者と入れ替わることとなる。
 而して、帰還半島人の大半は帰農其の他職業に復して再契約に応ずるもの微々たる有様なり。

第3 措置
 1.契約期間満了して帰鮮せる半島人を至急動員して内地炭鉱に出稼せしむること
 2.再出稼半島人に対しては賃金の割増其の他の優待方法を講ずると共に、徴用(注:3)に準じ半強制的に其の移入を図ること
 3.新しく集団移入せしめる半島人の契約期間は原則として1年間を延長し3年とすること
 4.逃走移動防止に就いては適切なる手段を講ずること 

 (1992年 緑蔭書房 発刊「戦時下朝鮮人 中国人 連合俘虜強制連行資料集 石炭統制会(注:4)極秘文書」復刻版より)


(注:1)
 日韓併合以後、朝鮮半島出身者を、日本国民は侮蔑の意を含んで“半島人”とか“鮮人”と呼んだ。 言うまでもなく、差別用語である。
(注:2)
 北海道釧路市阿寒町雄別に所在。大正8年開坑、昭和45年2月閉山。三菱鉱業株式会社系列。
(注:3)
 徴用とは、国語辞典(広辞林)をひも解くと「国家の権力で国民を強制的に一定の仕事につかせること」とある。
 昭和12年日中戦争が長期ドロ沼化すると、昭和13年国家総動員法が公布され、翌14年国民徴用令が発令された。そして、日本の支配下 にあった朝鮮半島でもまず甘言等を用いた「募集」形式の「労務動員計画」がはじまった。昭和16年太平洋戦争がはじまると、翌17年か らは役所・警察・地元有力者の協力を得た「官斡旋」方式に変化した。それは脅迫等による半強制的な性質を帯びていた。昭和18年には 「国民徴用令」が改正され、翌19年「半島人労務者の移入に関する件」が閣議決定されると、いよいよ実質的にも強制力を持つものと なってきた。
 日本人対象の徴用令書には工場名・期間・出頭すべき日時が県知事名で明示されていたが、朝鮮人対象の徴用令書には工場名・期間が 記載されておらず、行き先やその期間もわからない、まさしく「強制連行」そのものであった。
(注:4)
 昭和16年、重要産業団体令公布施行に基づき石炭統制会が設立された。「石炭産業の綜合的統制運営を図り且石炭産業に関する 国策の立案及び遂行に協力することを目的」とし、会長は商工大臣が命じた。

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