(1992年 緑蔭書房 発刊「戦時下朝鮮人 中国人 連合俘虜強制連行資料集 石炭統制会(注:4)極秘文書」復刻版より)
(注:1)
日韓併合以後、朝鮮半島出身者を、日本国民は侮蔑の意を含んで“半島人”とか“鮮人”と呼んだ。
言うまでもなく、差別用語である。
(注:2)
北海道釧路市阿寒町雄別に所在。大正8年開坑、昭和45年2月閉山。三菱鉱業株式会社系列。
(注:3)
徴用とは、国語辞典(広辞林)をひも解くと「国家の権力で国民を強制的に一定の仕事につかせること」とある。
昭和12年日中戦争が長期ドロ沼化すると、昭和13年国家総動員法が公布され、翌14年国民徴用令が発令された。そして、日本の支配下
にあった朝鮮半島でもまず甘言等を用いた「募集」形式の「労務動員計画」がはじまった。昭和16年太平洋戦争がはじまると、翌17年か
らは役所・警察・地元有力者の協力を得た「官斡旋」方式に変化した。それは脅迫等による半強制的な性質を帯びていた。昭和18年には
「国民徴用令」が改正され、翌19年「半島人労務者の移入に関する件」が閣議決定されると、いよいよ実質的にも強制力を持つものと
なってきた。
日本人対象の徴用令書には工場名・期間・出頭すべき日時が県知事名で明示されていたが、朝鮮人対象の徴用令書には工場名・期間が
記載されておらず、行き先やその期間もわからない、まさしく「強制連行」そのものであった。
(注:4)
昭和16年、重要産業団体令公布施行に基づき石炭統制会が設立された。「石炭産業の綜合的統制運営を図り且石炭産業に関する
国策の立案及び遂行に協力することを目的」とし、会長は商工大臣が命じた。