櫛形炭鉱の半島人労務管理を見る(昭和18年4月20日)

石炭統制会京都支部 労務課長

 茨城県下の炭鉱で半島労務者の集団移入を見たのは櫛形炭鉱(注:1)が2番目である。最初は 中郷炭鉱(注:2)で、昨17年12月中旬に全羅北道から96名を移入し来たりしが、其の成績は極め て良好で其の後更に50名を移入し、計146名となっておるが、其の内1名の逃走者を出したのみである。それ故去る3月15日移入 着山の櫛形炭鉱に対しても好成績を期待しておる次第である。今回来山したものは黄海道からで全部で99名である。
 先ず第一に彼等の宿舎を見たが、入口に端興寮と大書した看板が掛けてある。端興寮とは、彼等出身地の郡の名前で、彼等に 喜ばれ親しまれるよう付けたのであるという事を聞かされた。寮は今度新築したもので1室が10畳敷で間数17あり、其の中3間打 通した室を講堂兼倶楽部に使っている。1室に6名から8名まで収容しているので、先ず普通の広さである。事務室、食堂、炊事場、 浴場等完備しているが、最も肝要な採光に少しく缺陷があるのは遺憾である。
 朝鮮を出発する時は100名であったが、下関上陸の際替玉1名が水上署の査照に引っかかり送還された。聞けば出発の直前兄が 急病になり其の弟が身代わりとなって来たもので、其の際名簿の訂正が間に合わなかったので内地まで同道の警察官と面の係員 が査照のとき其の事情を述べて承認を受けるはずだったが、どうしても下関水上署の承認を得られず結局1名欠けて99名となった。
 今日まで1名の逃走者もなく全部完全に稼動している。未だ期間は短いがよく訓練が行き届き我々に対しても必ず敬礼をする。 仕事から帰れば寮の入口にて一応寮長に挨拶をする、寮長又温顔を以て御苦労様と彼等を労わる。彼等は其れから自分の室に入る。 食事の際にも列を作って食券を貰い、行儀よく盛渡しの丼と汁椀を受け、椅子につき「戴きます」と称えて箸を取る。賄人は半島 婦人で、彼等の嗜好に適するよう調味等についても中々心を配っているようである。訓練は毎日30分位で、其の他講堂に於いて、 之亦30分位国語や行儀作法等を教えている。
 作業は全部坑内作業で現在のところ見習程度の仕事であるが、入坑率は最初から94%を持続し、その間4日ばかり食物の関係で (米5合に馬鈴薯と脱脂大豆2割位を混入)下痢患者が発生し90%に低下した事があったが、其れ以外は依然として好成績を持続し ている。然も坑内が目下通気の関係で温度高く裸体の作業にも不拘入坑率の良好なるは誠に喜ばしい。勤労は2交替と3交替に区分 し何等の苦情も聞かず、休日は原則として日曜ごとに決めてあるが、坑内補修等の都合で度々就業せしむることがある。賃銀は 目下訓練期間中のため大部分は2円50銭であるが、中に稼動成績の優秀なるもの1割位に対しては一歩増しの2円75銭を支給している。 尚、経験坑夫が3名いるが、これ等は他の経験坑夫と同様1日4、5円程度の収得がある。食費は1日金60銭で他に何も徴収しない。 余分の金は貯金と国元への送金を強制している。貯金は大部分郵便貯金である。
 単独外出は禁止しているが、公休日には係員引率の下に付近の海岸や市街を散歩させ、偶には映画等も見物させる。又公休日 には酒1合を与えているが、彼等は之を非常に喜んでいる。
 要するに櫛形の半島管理は親心と温情に終始しているようである。其れがまた居付に就業率に相当の成績をあげている原因と 思われる。未だ日も浅いこと故、一概に成績云々は早計と思われるが、現在の熱と努力と面倒とを継続する限り優秀の成績が期待 できると信ずるものである。尚、出身地から面の係員や警官の付き添い来ることは経費もかかるし、又、其の人の如何によっては 弊害もなきにしもあらずだが、一面彼等の安着と安住の場面を郷里に帰ってから父兄に対する土産話とし安心を与えることは本人 達も喜び又家族達も喜ぶこと故、後日偽電などで呼び戻すことも少なく、大いに効果的であると考えられる。
 募集の状況は本人から進んで応募したものが40%、60%は面長(注:3)の半強制による供出であったとのことである。
 以上、櫛形炭鉱の半島労務管理は大体可と信ずるものなるが、室内における娯楽等も考慮し賭博等の遊びを未然に防ぐよう希望 する。
 寮長の塚本は同系会社の北海道炭鉱で半島人扱いの経験者、然も温情家で寮長としてかつ寮父として彼等を指導するには最適の 係員である。
強制による供出  半島労務管理については1ヶ所(1寮)100人程度が経験上手頃であるから一層の成績向上を切望すると共に内地人との接触につい ても常に細心の注意を怠らぬよう希望する。
 最後に、自分は朝鮮人労務者指導の要点は規律ある生活と作業を強化し、之に慈母の愛情と慈父の威厳を以てし、常に威厳を失う ことなく信頼を得ることに帰すると思う。

 (1992年 緑蔭書房 発刊「戦時下朝鮮人 中国人 連合俘虜強制連行資料集 石炭統制会極秘文書」復刻版より)


(注:1)
 櫛形炭鉱は茨城県高萩市に所在し、高萩炭鉱の兄弟山であった。高萩市は、常磐炭田の存在によって、明治中期以降から石炭産業が 盛んとなったが、昭和42年には石炭産業のまちとしての歴史が閉じられた。
(注:2)
 中郷炭鉱は常磐炭礦茨城鉱業所中郷露天鉱として昭和60年3月まで操業が続いた。
(注:3)
 面長とは日本の村長に相当し、現地警察の全面的な力を得てほとんど強制的に地元民を狩り出し、日本国内等へ供出していった。

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