「合理化とCO闘争」織田喬企
(2005年3月1日発行「三池CO闘争の報告 第17号」より)
三池CO被災者 織田喬企さん。三池CO現地共闘会議。熊本県荒尾市在住。
「まーだ、あんたたちはやろっとかい」「CO患者はまだおらすとかい」とそんな声もあります。
しかし、今日のCO患者を通して、あの爆発を思い起こし、現在の若者たちの職業は、また、定年を前にした50代の人たちが
働く現場はどうなっているか。40年前の職場に比べて働きやすい職場になっているのか。考えてもらいたいからこの集会を続
けているのです。
働く者が自ら声を出さなければ、ものを言わなければ、経営者は安全というものを守りません。手抜きが起こります。コスト
が高くつくからです。
最近は事業所が厚生年金を払えないので国民年金に切り替えるのが増えているそうです。さらに、健康保険も国民保険にかえ
る。ここまでくると、もはや、自分のことは個々人でやれよという自己責任論です。まして、労災に関しては、危ないところは
用心してやってくれよと言われます。用心するには限界があります。サービス残業というタダ働きを散々させて、風邪をひいた
り、ケガでもしたら、自己管理が悪いと言われる。そして、死ぬまで働かされる現実の前に何の保証がありますか。40年前と
今日の労働条件は本質的には変わっていない。むしろ、低下しているんではないか。現在の労働者の働く条件、環境はどうなっ
ているかということです。
われわれ炭鉱労働者もそうでしたが、国鉄で働いてきた人たちも、大牟田、荒尾、長洲、玉名、横島から入社した人たちが
国鉄労働組合に所属していただけのことで解雇されたのです。二言目には「法治国家」を豪語する者たちが、法律(労働組合法)
を無視しての首切りです。不当労働行為は明らかです。かっての三池もそうでした。
いま思うことは、会社と労働者、国と国民、その関係が危うくなってきている。この間、水俣病問題で国と熊本県の行政責任
が問われました。一部の患者さんたちがあくまでも「行政責任」を問うたことで、この度責任が明らかになったのです。行政と
漁民の人々との闘いでした。いま私たちに問われていることは、国家と国民の関係です。戦前、経験してきた「国あっての国民」
「国のためには死ね」というのが当たり前だった時代。そんな歴史と戦争の深い反省に立って作られた民主憲法を変えろという
声が高まっています。会社あっての労働者、お役所あっての市民・県民。国のために死ねという悪しき過去には戻らないとは
言い切れない時にあると思います。
そんな時代に向かって闘い抜くためにも、この三池大災害抗議集会を続けていきたいと考えています。最近では「心の病」が
増加しているそうです。子供が登校拒否するように、大人が会社に行けないという病気です。その原因は何か、根拠はどこにあ
るのか、考えていただきたいと思います。CO問題を風化させないためにも、CO患者を通して、労働者の生命と健康を守る闘いを
続けていきたいと思います。
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