随想「命ある限り」
古閑
(昭和42年1月1日号 機関紙「みいけ」より)
夫が熊大へ入院したのは、昭和39年の5月であった。早くよくなる為に入院させたのであったから、
夫のいない淋しさも不自由さも我慢した。だから月1回の外泊が待ち遠しかった。一酸化炭素中毒がどんなに恐ろしいもので
あるか、まだこの頃はよく知ってもいなかったから。それがなんという事だろう。
一酸化炭素中毒は成人男子を破壊したばかりでなく、私達夫婦がそのいい見本かも知れない。だが私は必死になってふんば
ってみた。CO患者となった夫にはなんの罪もない。たとえ体がかなわなくなったとしてもそれは夫の故ではない。これはど
んなことがあっても、忘れまい。
そして憎しみや怒りはすべて会社へ、三井鉱山へ進呈しよう。
労働者だからといって、働くだけ働かせ、その上、毒ガスまで吸わせて、私たちのささやかなる家庭のしあわせまで奪おう
という三井の奴等へ。
何時の間に買い込んでいたのか私の知らないお酒のビンがつぎつぎと空になっていく。私はそれを居ても立ってもおれない
思いでじいっと眺めているだけ。
8月、外泊で帰った夫は眼のすわるまで飲むのを止めない。「またきょうも荒れるぞ」と私の体の中の神経が緊張する。な
にか気にいらぬ事があると、それを口に出さずしてまず酒を飲む。飲むだけ飲んで、ろれつのまわらなくなってはじめてしゃ
べり出す。
昔の事、いまの事なにもかもごっちゃまぜにして。私をくさりなじり、罵る。こんな人を何故私は一生の伴侶に選んだのだ
ろう、と思わず夫を憎んでしまう。そして、一刻も早くこの家から逃げ出したい思いにかられるのだが、私にはどうしてもそ
れが出来ない。
私がいる事だけで、職場から、学校から真直ぐに帰ってくる子供等に、なんの罪があろうかと・・・。
そんな子どもたちに夫の酒乱を見せたくないとはらはらする私の気持も知るや知らずや、夫は酒をやめない。夫婦でしんみ
りと話し合えばあるいはなんでもなくすむ事であろうが、酒の勢いを借りた夫と、それに怖れをいだく妻とでは円満な解決に
なるはずがない。私は「別れる」といい、夫は「すぐに出て行け」と怒鳴った。
そしてそして、家に帰ってきた子供たちまでその座にすわらせ、原因がなんであるかを知らない子供たちに、私が「出て行
く」とその事だけを告げた。びっくり仰天したのは子供たちである。一番年取った長女でさえ私をなじった。高校二年生の長
男は「なんで別れるのか」と聞いた。そして「お父さんとお母さんが別れるのには絶対反対だ」とも言った。その上、「お父
さんが酒を飲むから別れるというのならこれからは僕たちが飲ませないようにするから別れないで」とも言った。
なんの罪もない子供たちに、なぜこんないやな思いをさせるのかと、私はその時思わず涙をこぼした。
それからしばらくたって、夫がまた外泊で帰って来る日、夫の外泊を心待ちしながらも、私は夜の事を考えると体が寒くな
るようないやな思いがしてきて、何もしないまえから体が萎縮してしまう自分をどうすることも出来なかった。
そんな私の気持を考える暇もないように、その夜も夫は自分の情欲を達しようと必死なのだが、私の体を燃えたたせながら、
その夜もまた最後の極に達することが出来ない。こんな時女はどうやって身を処すべきなのか。
なぜ神様は、男と女と区別をつけられたのか。どうにもやるせない体をもてあまして、私は泣くより他に方法を知らない。
私が泣いたりしていたら、また夫は酒を飲んだり怒鳴ったりすると思いはしたが、もう後はどうにでもなれ、という気持だ
った。
子供のようにしゃくりあげながら、私は夫に言った。「お父さん、私をこのままでほうっておくの。私は狂人になるわよ。
私のこんな気持なんてちょっともわかってくれないで私ばっかり怒るけど・・・私私、その度にお父さんが嫌いになるのが悲
しいのよ。それをどうしてわかってくれないの」。もう、打たれても蹴られてもいいと思った。
今のままで思い詰め、いつかは言わねばと思っていた事を、私は次から次へとぶっつけた。いつとはなしに出来た夫婦の深
いミゾを、今こそ埋めなくては・・・・と、ただそれだけの思いで。
夫は私の夫に対する態度が冷たいとばかり思いつめているらしいが、それは違う。
出来ない事をする事によってその後つねに味わされる辛さから自然に夫を憎む気が強まってくる。それが私には恐ろしくて
たまらなかったのだ。
その時夫は嘘のように静かだった。そして一言「すまん」と言った。すまんだなんてどういう意味なのか。ああ。夫が悪い
のではない。三川鉱のあの爆発が、三井鉱山の奴等が私達夫婦の生活をこんなにしてしまったのだ。
三百十三日の大闘争以来、私たちは貧しさに耐え、夫は職場で差別に耐え闘ってきた。三池労組員であるという事で、周囲
の圧迫にも耐えようと言うのか。何故、何故に・・・。
そんな11月のある日、何と言う事であろうか。夫の許へ労働省からの労災補償を打ち切るという冷たいあの通告がやって
きた。
私は泣いた。しかしその涙は、会社や政府に対する怒りの涙である。同時に長い間耐えに耐えてきている自分の気持を何故
かさわやかな思いにさえした。そして泣いているうちに長い間苦しみと悩みを共にしてきた私達夫婦の心にふたたび愛がよみ
がえって来るのを知った。怒りの涙で心の中に出来ていた恐ろしいミゾが流れ去ったのであろうか。
私達は闘わなければならないのだ。生命のあるかぎり、妻として私は夫を守り、やっと取り戻した心の安らぎをさらに不動
のものにする為にも、私達は闘わなければならない。明日もあさっても、いいえそれは命ある限り・・・・。
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