筑豊地方の子守唄
【 作詞 小田陽之介・作曲 赤司哲夫 】♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
1 おまや筑豊の おまや筑豊の 炭坑(ヤマ)育ち
ちちは 三番方
今夜は ははと二人きり
はよねんしゃい はよねんしゃい
やまん神さまも
ねとんしゃる2 おまや筑豊の おまや筑豊の 炭坑(ヤマ)育ち
ちちは 三番方
エンドレスはゴロゴロばい
はよねんしゃい はよねんしゃい
炭坑(ヤマ)も来年には
閉まるげな2 おまや筑豊の おまや筑豊の 炭坑(ヤマ)育ち
ちちは 三番方
立て坑のあかり なつかしか
はよねんしゃい はよねんしゃい
向かいのボタ山には風が鳴る
昭和42年頃、中学校卒業後の中学生はまだ「金の卵」と称せられるなどして、就職していく生徒がかなりいた。とくに関西方面 に赴く者が多く、当時の国鉄筑前宮田駅から集団就職列車などが出るほどであり、家族や周りの人々などが見送りに来て別れを惜し んでいた。
そのようなとき、当時宮田町内の中学校の教師であった小田陽之介氏と赤司哲夫氏が「宮田を遠く去りゆく子どもたちがこの古里 の地“宮田”をいついつまでも忘れないで欲しい」と生徒に慈しみと愛の心を込めて作詞・作曲し、当時宮田町太蔵東区に在った映 画館「東映劇場」での宮田町就職生激励会において、中学校のブラスバンド演奏のもと、音楽科教師の歌唱によって披露された。そ のメロディー・歌詞は就職生の心に故郷の思いを焼き付けたという。
(福岡県宮田町ホームページより抜粋)