ヤマの子守唄 -ザリガニの歌-
1 父ちゃん今日も帰らんき
母ちゃん廃坑(ヤマ)にボタ拾い2 秀坊のおもりはうちばっかり
ふみちゃんと縄跳びしたいとに3 あんちゃんどこまでザリガニ捕りに
学校休んでいったやろ4 ザリガニ捕ってなんにする
夕げのカユのサイにする5 夕やけ雲はあかいのに
あしたも学校にゆかれんと6 もうすぐ遠い町の玩具屋に
ねえちゃん子守りにゆくとばい7 こんどかえるときにゃ おばさんにゆうて
秀坊にガラガラもろてやろ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
「石炭不況による炭鉱失業者を救おう」と、福岡市の主婦たち10人が呼びかけた「黒い羽根運動」が全国に広がっていった。 そんな中で昭和34年、福岡地裁飯塚支部の書記官であった森中鎮雄さんが作詞作曲した「ザリガニの歌」がヒットし、福岡県 田川市出身の有明ユリさんが歌って、同年9月28日、東芝レコードから「ヤマの子守唄 -ザリガニの歌-」が発表された。
当時、中小炭鉱が多い筑豊炭田の失業者はざっと23000人。その一つに、昭和31年7月閉山になった室井豊徳炭鉱があ った。その炭住に住む40世帯188人の人たちは失対事業やボタ拾い、練炭作りなどの手間仕事で辛うじて命をつないでいた。 月5,6千円程度の収入で平均4.95人の家族では一日2食の食事さえかなわず、沼地にいるザリガニを捕って蛋白源とした。 うどん、ダンゴ汁、ジャガイモ、サツマイモ、カボチャなども主食となった。親も子も栄養失調でやせこけ、乳児の死亡率も高 かった。(昭和34年11月29日付け 三池労組機関紙「みいけ」参照)