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馬渡(まわたり)社宅は、平成6年すべて解体され、その跡地は大型スーパー等となり、炭鉱社宅
の面影は現在何も残されていない。しかし、第二次世界大戦中不足する労働力を補うため強制連行されてきた朝鮮人坑夫たちを
収容していたという馬渡社宅51棟の5軒長屋跡は、現在馬渡第一公園として整備され、その一角に記念碑が建立されている。
福岡県大牟田市による昭和35年10月1日現在「町別世帯数人口および戸数一覧」によると、
天道校区 馬渡町 世帯数290 人口1401(男685、女716) 戸数293
とある。
平成16年10月1日現在にあっては、
馬渡町 世帯数124 人口314(男145、女169)
と大きく変化している。
(馬渡社宅51棟跡。現、馬渡第一公園)
「第二次世界大戦中、大牟田の三池炭鉱に朝鮮から数千名の朝鮮人が強制連行され過酷な労働を強い
られた。そのうち約200余名の朝鮮人が「馬渡社宅」に収容されていた。「馬渡社宅51棟」の押入れに彼らの望郷の念が込められた
壁書が1989年に訪れた強制連行の歴史を学ぶグループにより発見された。
戦時中とはいえ朝鮮人に多大な犠牲をもたらし、さらに犠牲者の痛みを思うとき、ふたたびこのような行為をくり返してはならな
い。そこで、この地に「壁書」を復元することによって戦争の悲惨、平和の尊さを次の世代に語り継ぐため、この記念碑を建立する
ものである。 1997年2月 大牟田市」 (記念碑建立文より)
取り壊される前の馬渡社宅(記念碑より)
(馬渡社宅押入れの壁に書かれていた落書き)
先の「1989年に訪れた強制連行の歴史を学ぶグループ」というのは、「強制連行の跡を若者とたどる旅」という北九州市の
グループのことで、60人位の若者が1989年(平成元年)8月下旬、筑豊・大牟田・高島の炭鉱跡をたどり強制連行の歴史を学ぶ
旅をした。その時、大牟田にまだ残っていた馬渡社宅を訪問。この時、馬渡社宅の壁書を発見した三池炭鉱の元炭鉱労働者が
マイクを持って案内した。
同記念碑にも記されているとおり、「馬渡社宅」壁書の完全な解釈は難しい。
ここ馬渡社宅跡に建つ記念碑には、「自分たちは流刑のようにして連行されてきた。しかも自分達をこのようにした力は敗れる。
生活をしていた村から海を渡り、この囲いの中にいるのは朝鮮京畿道長端郡長道面本村、高陽郡呂州郡の者達である。穂の心で人に
助けを求めないで自分達の心を一つにして頑張っていけば、必ず天は見捨てない。」と解釈、説明されている。
しかし、その一方で、大牟田市甘木字甘木山の甘木公園に建つ「徴用犠牲者慰霊碑」隣
の「馬渡社宅」壁書記念碑には、「遙か異国の地にあって、引き裂かれた恋人や妻に思いを馳せ、自らの不遇を嘆き、懐かしき故国
を偲ぶ、切々たる心情が記されている」と説明されている。
また、大牟田市石炭産業科学館に展示されている「馬渡社宅」壁書にあっては、「この壁書きは、強制連行された人たちが、
故郷を想う気持ちを、押入れの中の壁に書きつづったものといわれています」と説明がある。
三者三様、同じものでもその解釈は統一されていない。
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